今から70年以上前、このあたりには3つの「紫園」がありました。
研究熱心だった作則・政吉は、協力し合って様々な果樹に挑戦しました。
戦前にいちごを作っていたのは珍しかったようで、ガリ版刷りで食べ方の説明を添えて売ったそうです。
また、このあたりは3月の終わりから5月にかけて、東南の大風が吹きます。
ビニールハウスでぶどうを栽培しようと、ビニールをかけて間もなく、大風で吹き飛ばされてしまいました。
ですから、当園の果物は、昔から現在まで変わらず露地栽培のみとなっております。
3代目・茂が園主になってからは、果物よりも造園に力を入れていた時期がありました。
先代の政吉が手塩にかけて育てたぶどうの樹の手入れが不十分となり、果実の味が落ちてしまったこともありました。
しかし、4代目・洋が家業を手伝うようになってからは、再びぶどうに力を入れています。
一粒一粒に、愛情を込めて、みなさまへお届けいたします。